炎の手、癒しの手
 
 

五六年前、僕は、あるつてで、割と広い畑の世話をしていた。

その畑は、いわゆる「自然農法」の畑で、畑か、単なる野原か、よくわからない畑だった。
特に、こうやれ、ああやれ、という人がいるわけでなく、一人で、畑に行って、がすがすと動き回り、家に帰るという日を、週に1日、2日行っていた。

「まあ、種をまきゃ、芽がでて、大きくなれば、食えるべ」
と、知恵も絞らずに作業をしていた。

しかし、何故か、芽が出ないのである。
出ても、ほんの2・3割。それも、なんかモヤシみたいな芽だ。

「はて、なにが悪かったか?」
と、作業をやり直したりしていたが、やはり、芽がでない。

そんな時、ある人に、こんな事を言われた。
「人の手には、炎の手と、癒しの手があるのよ」
「なんです、それ?」
「同じ種を蒔いても、炎の手だと、芽がでない。癒しの手だと、たくさんの芽がでるし、作物も良く育つのよ」
「ふーん。じゃあ、俺は炎の手なのかなー」
「手は、使っていると、だんだん変わってくるの。畑を続けなさい。癒しの手になるから」

そういわれて、畑を続けていた。
半年ほどで、発芽率が徐々にあがり、二年もすると、ほとんど発芽するようになった。それだけでなく作物も良く育つようになった。

「畑作業がうまくなったんじゃないの?」
もちろん、それもあるだろう。
でも、それだけじゃないと思う。

畑には、たまに僕が勤めていた八百屋さんの家族もきた。
当時、そこの娘さんは、まだ小学生で、畑に来て、キャッキャッ走り回っていた。

こういう時、その娘さんに種をまいてもらう。
「おおきくなーれ、おおきくなーれ」と、声を出しながら、ぶきっちょに一つ一つ、種を蒔いていく。
いかにも、うまくない蒔き方だ。

しかし、これが、驚くなかれ発芽率がかなり高く、さらにぐんぐん、よく育つ。
そうして、立派な大きなだいこんができていたりする。

子供が、種を蒔くと、ともかく野菜がよく育つのだ。
もちろん、この話に根拠もないし、この娘さんだからだったかもしれない。

でも、僕は、種に対する「気持ち」が、発芽率をよくするのではないか、と疑っている。
子供は、種に本気で「大きくなれよ」という「気持ち」を持っている。
それに、種が答える。

命と命は、そんな不思議な関係があるような気がする。

それ以来、畑で、ぶつぶつと、独り言をいう癖がついた。「おい、もっと元気だせよ」「お前、なかなかいい仕事してるじゃん」
他人がみたら、ちょっと怖い。

「癒しの手」というのは、「気持ち」をもって触れる事なのではないか、と最近は、考えている。

カイロ治療も同じ。
患者さんの背骨に触れるとき、「おいどうした?」「もっと元気を出しなさい」と、口にはださないが(出すと、患者さんが怖がるでしょ?)という気持ちが、治療効果を高める……ような気がしている。


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